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2017年2月21日

【書評&時事コラム】「寛容」を失った?日本の都市

 人口減少、超高齢社会の到来とあって、子供は「国の宝」、皆で応援しよう。というわけで、政府や自治体は保育所整備にシャカリキになっているが、育児の“現場”では少し様子が違っているようだ。子供や親に対する風当たりも結構強まっているという。

c170221.jpg 保育所の新規開設に対して、「子供の声がうるさい」「親の送り迎えで交通事情が悪くなる」といった理由で、近隣住民の反対運動が一部で起きている。と思ったら、今度は「満員の電車内にベビーカーで乗り込むこと」「公共の場で授乳すること」の是非がネットなどで賛否を呼んでいる。反発派の代表的な主張は、「もっと空いている時間帯に乗ったらどうか」「スーパーなどでは授乳コーナーを整備してあるから、皆が見える場所でオッパイを出すのは非常識」など。まあ、「いちいち、ごもっとも」と思わないでもない。

 しかし、あえて言えば、そんなことで、いちいち目くじらを立てるのはいかがなものか。それらが“論争”になること自体、私にはわからない。昔はベビーカーも授乳所もなかったから、母親は赤ちゃんをおんぶして電車に乗り込み、店の奥を借りるなどして授乳した。周囲もそういうものだと思い、見知らぬ母子であっても「何歳になったの?」とか言いながら、席を譲ったり、場所を貸してくれたものだ。ある意味の「共助社会」だった。

 そうした「共助」部分(これも大げさな表現だが)が失われつつあるということか。同時に、この種の問題はもっぱら都市特有の現象。都会で生活するには、個人生活も大事だが、大勢の人々が暮らす以上、他者への思いやり、言い換えると「お互いさま」「寛容さ」こそ、円滑な都市生活を送るカギになる。それとも、現代の都会はそうした余裕さえないほどカサカサしているのだろうか。ママたちも肩身の狭い思いなど無用。「スミマセンねえ」などと言いながら、図々しくやるのが一番。(俊)

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