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2018年4月17日

【書評&時事コラム】底が抜けた(?)公務員倫理

  国民の財産である国有地を、管理者である財務省が特定業者にたたき売りする。企業のセクハラ防止指針を作った厚生労働省幹部が、セクハラまがいのメールを女性部下に送る。かと思えば、上司に注意された新人警察官が、上司を拳銃で射殺する。「資料はない」「会ったことはない」と言い張っていた役人の証言が次々とひっくり返される。どれも、次元の低い、「知能犯」とも言えないレベルのごまかしだ。

c180417.JPG 個別にみれば、それぞれに事情は異なるようだが、それでもなお、共通点が浮かんでくる。公務員の「高い倫理観」の欠如を指摘する声は多いが、ではなぜ倫理観が欠如するに至ったのか、である。それは、家庭教育や学校教育を含む、社会全体から学ぶ規範や他者への思いやりといった基本を身に着けないまま、大人になってしまったからではないのか。そう考えると、これは公務員の世界だけでなく、問題の根は深い。

 いま、公務員バッシングがすさまじい勢いで広がっている。「即刻クビにせよ」といった感情的な意見も多いが、公務員法などの罰則を強化するだけでは根本的な解決にはならないであろう。なにせ、昨日今日の問題ではないのだから。高い倫理観を取り戻してもらうのが一番だ。もともと、戦後日本の公務員倫理は高く、それはワイロ政治の絶えない他国の事例などと比べれば明らかだ。

 公務員という仕事は、国民生活の役に立つ。誘惑に負けない、ごまかしのない行政を続けていれば、必ず良い国になる。そんな信念が実感できる体制の構築こそが正道ではないか。私は、そんな役人OBを何人も知っている。むしろ、続出する役所のスキャンダルに、慣れっこにだけはならないようにしよう。それこそ、国民の義務だから。 (俊)

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