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2018年8月 7日

【書評&時事コラム】増える無縁仏

 新潟県にある私の実家の裏側は墓地になっていて、たくさんの墓が並んでいる。ところが近年、無縁仏の墓が急増しているという。管理するお寺も困り果て、そうした墓を一カ所にまとめておくようになった。過疎化の影響が、こんなところにも表れているようだ。

c180807.JPG 古い墓の中には、太平洋戦争で戦死した兵士の墓も多く、「〇〇上等兵は昭和十九年十月、二十二歳で南支にて戦死」などと墓石に記録しているのもある。子供のころから墓地で遊んでいた私は、それを読んで父親に「南支って、どこ?」「仏印って、どこ?」と聞いたものだった。

 そんな墓群が次々と無縁仏になっている。お参りに来る家系が途絶えたのか、さまざまな理由で転居したのか――。だとすれば、墓石に刻まれた戦死者のわずかな痕跡も、失われてしまうことになりはしないか。どんな状況下で、どんな思いで死んでいったのか、永遠に知られなくなる可能性が高い。どんな公式記録よりも、ある意味で貴重な「戦士の証言」だから、“無縁化”してはならないものではないだろうか。

 戦後73年も経つと、当時を直接知る生存者はかなり限られてくる。代わって、近年は戦争体験者の証言などよりも、「隣国の脅威」を口実にした軍備増強、果ては日本の核武装論までが堂々と書店などに並ぶ。おそるべき想像力の欠如としか言いようがないが、これも無縁仏の増加と表裏一体の「風化」なのだろう。嘆いてばかりもいられない。(俊)

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