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2016年6月 6日

<特別寄稿>大阪大学大学院法学研究科教授 小嶌 典明さん

「同一労働同一賃金」についてー(1)

1 はじめに――閣議決定に対する素朴な疑問

is1606.jpg 2016年6月2日に閣議決定をみた「ニッポン一億総活躍プラン」には、「一億総活躍社会の実現に向けた横断的課題である働き方改革の方向」について述べた箇所がある。

 「最大のチャレンジは働き方改革である。多様な働き方が可能となるよう、社会の発想や制度を大きく転換しなければならない」。同プランは、このように述べた上で、次のように記す(以下、○付き数字は筆者による)。 

(同一労働同一賃金の実現など非正規雇用の待遇改善)
 ① 女性や若者などの多様で柔軟な働き方の選択を広げるためには、我が国の労働者の約4割を占める非正規雇用労働者の待遇改善は、待ったなしの重要課題である。
 ② 我が国の非正規雇用労働者については、例えば、女性では、結婚・子育てなどもあり、30代半ば以降、自ら非正規雇用を選択している人が多いことが労働力調査から確認できるほか、パートタイム労働者の賃金水準は、欧州諸国においては正規労働者に比べ2割低い状況であるが、我が国では4割低くなっている。
 ③ 再チャレンジ可能な社会をつくるためにも、正規か、非正規かといった雇用の形態にかかわらない均等・均衡待遇を確保する。そして、同一労働同一賃金の実現に踏み込む。
 ④ 同一労働同一賃金の実現に向けて、我が国の雇用慣行には十分に留意しつつ、躊躇なく法改正の準備を進める。労働契約法、パートタイム労働法、労働者派遣法の的確な運用を図るため、どのような待遇差が合理的であるかまたは不合理であるかを事例等で示すガイドラインを策定する。できない理由はいくらでも挙げることができる。大切なことは、どうやったら実現できるかであり、ここに意識を集中する。非正規という言葉を無くす決意で臨む。
 ⑤ プロセスとしては、ガイドラインの策定等を通じ、不合理な待遇差として是正すべきものを明らかにする。その是正が円滑に行われるよう、欧州の制度も参考にしつつ、不合理な待遇差に関する司法判断の根拠規定の整備、非正規雇用労働者と正規労働者との待遇差に関する事業者の説明義務の整備などを含め、労働契約法、パートタイム労働法及び労働者派遣法の一括改正等を検討し、関連法案を国会に提出する。
 ⑥ これらにより、正規労働者と非正規雇用労働者の賃金差について、欧州諸国に遜色のない水準を目指す。            (以下、略)


 確かに、女性は、非正規雇用労働者の3分の2強(67.9%、総務省「労働力調査(基本集計)2016年1~3月期平均」による。以下同じ)を占めるが、29歳以下の若者は、5分の1弱(18.7%)にとどまる。非正規雇用労働者に占める割合という点では、今や若者よりも60歳以上の高齢者(26.3%)のほうがずっと高い。

 男性や若者(少数派)にとっては有効な政策も、女性や高齢者(多数派)にとっては必ずしも有効とはいえない。したがって、非正規雇用労働者が「我が国の労働者の約4割を占める」というリード(上記①)では、政策を誤るおそれがある。

 「再チャレンジ可能な社会をつくる」ことや、そのために「正規か、非正規かといった雇用の形態にかかわらない均等・均衡待遇を確保する」といった理想を語ることには、誰も反対しない。しかし、「同一労働同一賃金の実現に踏み込む」とまでいわれる(上記③)と、性急に過ぎる、論理の飛躍ではないか、といった疑問がわいてくる。

 大卒総合職の場合、入職時の賃金が30歳で約1.5倍となり、55歳のピーク時には3倍となる(日本経団連「2015年6月度 定期賃金調査結果」の学歴別標準者賃金<管理・事務・技術労働者>によると、22歳の賃金が21万2799円。これが30歳には31万6629円となり、55歳では63万422円となる)。高卒一般職の場合にも、ピーク時の賃金(60歳35万2480円)は、入職時(18歳16万5165円)の2倍以上になる(同上調査による)。

 こうした年功的色彩の強い賃金プロファイルを「同一労働同一賃金」で説明することには、およそ無理がある。ある一定の年齢までは、習熟昇給(習熟度が増すことにより賃金が増える)という考え方で説明できるとしても、習熟度=熟練度だけで全体が説明できるとは到底思えない。

 「我が国の雇用慣行には十分に留意しつつ」(上記④)とはいうものの、このような賃金プロファイルが欧州でも広くみられるのであればともかく、やみくもに「欧州の制度」を参考にして法整備を進めて(上記⑤)も、うまくいくはずがない。「同一労働同一賃金」が実現しているとされるヨーロッパが、なぜ一方では階級社会と呼ばれるのか。「欧州諸国に遜色のない水準を目指す」(上記⑥)というが、そんな欧州がどうしてモデルとなるのか。そうした素朴な疑問も一方にはある。

 「労働契約法、パートタイム労働法、労働者派遣法の的確な運用を図るため、どのような待遇差が合理的であるかまたは不合理であるかを事例等で示すガイドラインを策定する」(上記④)ともあるが、細かいことをいえば、民法の特別法である労働契約法の場合には、厚生労働大臣が同法の規定について指針を定めるわけにもいかず、ガイドラインの策定といっても、その法的根拠に欠ける(労働契約法には、パートタイム労働法や労働者派遣法と違って、「指針」に関する規定がない。より正確にいえば、法律の性格上、そうした規定を置くことができない)といった問題もある。

 「同一労働同一賃金」の実現にこのまま踏み込んでよいのか。与党や規制改革会議までがこれに同調している現状(注)では、「同一労働同一賃金」の実現はもはや国策となったといえなくもないが、それがわが国にとって望ましい方向であるとは筆者は考えない。

 「できない理由はいくらでも挙げることができる。大切なことは、どうやったら実現できるかであり、ここに意識を集中する。非正規という言葉を無くす決意で臨む」(上記④)。壮大な決意といえるが、正義の道は地獄へと通じるともいう。「同一労働同一賃金」の実現が反論を許されない正義の命題となったとき、地獄への扉は開かれる。そうした事態だけは、なんとしてでも避けなければならない。

 

注:自由民主党・一億総活躍推進本部「『ニッポン一億総活躍プラン』に向けた提言」(2016年4月26日)、および規制改革会議「規制改革に関する第4次答申~終わりなき挑戦~」(同年5月19日)を参照。

 

小嶌 典明氏(こじま・のりあき)1952年大阪市生まれ。神戸大学法学部卒業。大阪大学大学院法学研究科教授。労働法専攻。小渕内閣から第一次安倍内閣まで、規制改革委員会の参与等として雇用・労働法制の改革に従事するかたわら、法人化の前後を通じて計8年間、国立大学における人事労務の現場で実務に携わる。
最近の主な著作に、『職場の法律は小説より奇なり』(講談社)のほか、『労働市場改革のミッション』(東洋経済新報社)、『国立大学法人と労働法』(ジアース教育新社)、『労働法の「常識」は現場の「非常識」――程良い規制を求めて』(中央経済社)、『労働法改革は現場に学べ!――これからの雇用・労働法制』(労働新聞社)、『法人職員・公務員のための労働法72話』(ジアース教育新社)、『労働法とその周辺――神は細部に宿り給ふ』(アドバンスニュース出版)、『メモワール労働者派遣法――歴史を知れば、今がわかる』(同前)がある。

 


 

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