報道各社が仕事の中で最も避けたいのは、発信した内容に関する「詫び訂」(わびてい)である。業界内部の短縮用語であり、正式には部分的な誤報をはじめ、誤字脱字を含む「お詫びと訂正」だ。媒体の信頼、根幹にかかわることなので、これを出すと当事者や世間にも失礼、場合によっては失笑もの。「詫び訂」記者はしばらく社内で肩身の狭い期間を過ごすことになる。
この「詫び訂」。媒体は「出来るだけ出したくない」という姿勢が変な方向へ行き、筆者が新聞記者時代は名前の間違いや誤字脱字ではない、記事内容に関するものは、「謝るべきなのに、極力謝らない」という“おかしな文化”があった。記事内容にかかわる方が、誤字脱字より重要な場合が多いのだが、その肝心な部分には頑(かたく)なに訂正を拒む。
当時を振り返ると、全くもって間違った対応をしたものだと痛切に反省している。そして、その猛省を現在の取材・執筆活動に生かしている。あの頃、報道デスク時代に当該記事の対象者から「伝えた事実と相違がある」「発言を意図的につまんで利用されて迷惑だ」などの抗議の電話を受けると、まずは安全面も考りょして執筆記者と抗議者をダイレクトに話をさせないのが鉄則で、デスクの段階で「意図的な操作はなく、内容にも自信を持っています」と突っぱねる。
まだ、その電話を受けた瞬間では、当該記事の執筆記者からも、担当デスクにも明確に経緯を確認した訳でもないが、速攻で切り返して「詫び訂」に持ち込まないように防御を張る。自己(会社)保身以外の何者でもないが、抗議してきた人たちの心も顧みず、「詫び訂」に至らずに収めたことに自負を抱く二重の誤りをした記憶もある。
最近は、メディアリテラシーや団体・個人を含む多様な発信手法にる視線もあり、「無理な強弁は困難」という環境になったのだろうか、各紙で連日のように「詫び訂」が掲載されている。記者の執筆間違いを未然に防ぐためのひとつとして、記事ごとの「署名入り」も浸透してきた。とは言え、連載や特集記事などで注目度を高めたり、ドラマ仕立てに盛り上げようと「空想のウソ」を執筆する記者が、そして、それを素通りさせてしまうデスクがいまだにいるのは残念だ。


















