報道の仕事に携わって20余年。社会、教育、スポーツ、水産(港湾・物流)、核燃、政経、労働政策関連など多くの分野を担当、取材してきた。その間、現場で出会う取材対象者や同業他社を含む先輩などから数えきれないほどの叱責を頂戴し、「報じる姿勢」の難しさや意義を少しずつ体得してきた。
褒められた割合に比べれば、指導された割合の方が格段に多い。優秀な人はどうか知らないが、筆者はそうであったし、その中から「生涯、謙虚に愚直な報道人であるべき」という信条にたどり着いている。現場記者であっても、デスクや論説委員になっても、また、新聞社のサラリーマン記者を離れたジャーナリストに至っている現在も、それぞれの職責と使命の中で、信条を忘れたことがない。
筆者のこれまでの報道経験の中で、「(報道は)真実なのか」という言葉を聞くことがある。独自の見解なので、一般論や定説ではないことを前置きして話を進めるが、正直、「真実の報道」は不可能と思っている。真実は、「そこに居合わせた当時者しか知らない」からだ。では、報道人はどうするか。複数の当事者の話や信頼に足る周辺およびキーマンから丹念に取材して、「より真実に迫る」「真実に近い」内容を精査して記事化していくのが重要なのだ。
「真実」の難しさは、単に「当事者から聞いたから」とはいかない点にもある。当事者とされる人が本当の事を言っているのか、自身に都合の良いことだけに“自己編集”して語る場合も少なくないので、真実にたどり着くのは難しい。ゆえに筆者は、好ましくない記事を書かれた相手から、「どの報道媒体より最も真実に近い」と評価されることを最高の誉め言葉と受け止めて、常にどの取材でもそうあろうと精進している。
しかし、この数年、どうしてこれほどまでに「真実の報道じゃない」「偏向報道はやめろ」と怒りを込めて指摘する有識者や一般の人たちの声が高まっているのか。想像するに、理由は大きく2つあると思う。ひとつは、真実に迫る楽ではない深層取材をせずに、政治家や行政の“広報部”のような部分が読者に見透かされてきていること。もう一つは、歴史のある大手媒体が編集権の名のもとに行き過ぎた偏向内容を、場合によっては“創作”も交えて報じていることがたびたび明るみになっていることだ。筆者も「真実に迫る」という原点を忘れず、自身に厳しく問うていきたい。


















