政府が掲げている「働き方改革」には、同一労働同一賃金の実現をはじめ、長時間労働の是正、副業・兼業など柔軟な働き方の拡充、高齢者の就業促進など、さまざまな観点が盛り込まれている。「最大のチャレンジ」と位置付けているところに、その難易度の高さがうかがえる。単なる制度や仕組みの変更だけでは困難で、根づいた慣習や風土も変える必要があるからだ。
この改革の中のひとつである「長時間労働の是正」について、筆者の経験を踏まえ、記者職に当てはめて考えてみたい。長時間勤務になってしまう具体的な理由はいくつもあるが、端的に言えば「自己完結型」の職種であることだ。基本的に「取材と執筆」はセットであり、体調不良の場合でも「完結」に向かって無理をしてしまう。言い換えれば、他社と競り合いながら責任をまっとうする。
取材現場で得た情報だけであれば、メモとペーパー(資料)を同僚記者に渡して執筆をバトンタッチする分業も可能ではあるが、独自のアンテナでつかんだ肌感覚のニュアンスまで瞬時に引き継げない。丁寧な取材と執筆のワンセットを日々繰り返し、蓄積していくことで「情報収集力と筆力」が養われていく。
日々の取材は、複数の出来事を並走して手がけるので、当然ながら家を出てから帰宅までの時間がかなり長くなる。加えて、「夜討ち朝駆け」(朝回り夜回り)が必要な場面もある。これを「プロ根性」と呼ぶのかどうかは知らないが、20年以上前の新米記者のころ、上司から「要領が悪いうえに遅筆だ」と連日のように怖い顔で叱咤され、睡眠不足と相まって精神的に不安定になった。心身の不調を口にした筆者に「学生さんから社会人に脱皮する途中だな、俺も通った道」と、笑顔で一言。その後、数カ月にわたり、時間を見つけては自身の新人時代の失敗談や“力の抜き方”をたくさん教えてくれたことを覚えている。
さて、「プロ根性」というくくりで言えば、記者だけが特別な訳ではない。会社や組織の規模、年齢、性別などにかかわらず、理由は違えどあらゆる職種で長時間労働を余儀なくされている人は少なくないはずだ。筆者の周辺からは、「長時間労働の撲滅は時代の要請」という声と、「資源のない日本は働き倒して当然」という両極の意見が聞かれる。政府が長時間労働是正の動きを加速させ、社会的にも大きな注目を集めている今、制度の見直し議論だけに埋没せず、それぞれの世代や視点で「働くこと」や「仕事と生き方」について見つめ直す契機にしてみてはどうだろうか。
(「報道局だより」は今回で終わりです)


















