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2017年9月 5日

【書評&時事コラム】とにかく、生きてほしい

 毎年9月に入ると、子供たちの自殺が急増する。2学期が始まり、夏休み中は忘れていられたイジメに、また遭う恐怖心に耐えられないからだとか。コトはイジメにとどまらない。夏休みの宿題が完成しなかった、進路が決まらないなどの理由で、中学生や高校生がいとも簡単に(と見える)飛び降り自殺する。連日の報道に、暗澹(たん)とした気分になるのは私だけだろうか。

c170905.jpeg 昔は、そんなことがあったという記憶はない。自分の子供のころを思い出すと、夏休みは宿題をさっさと終わらせ、残りの長い時間を海山で過ごし、昆虫採集や魚釣りに熱中した。新学期は、好きな女子(筆者は男です)との久しぶりの再会にワクワクしたものだ。悩みと無縁な、能天気な子供だった。そう言われれば否定はしないが、それが子供の子供たる所以(ゆえん)だったように思う。

 自分の人生の可能性もわからないうちに、短い命を絶つ「心の闇」には、正直、理解できないものがある。イジメが嫌なら“登校拒否”すればいい。学校は死ななければならないほど大切な場所ではない。自分の進路などはそのうち、何となく決まるもの……。大人になれば自明の理とも言える、こうした視野を持てない子供にどう接するか。悪戦苦闘する学校関係者の苦労が目に浮かぶ。

 おそらく、子供たちを取り巻く社会環境が、昔よりタイトになっているのだろう。他人とは異なる“ハミ出し”を許さない、均質化した社会。それが学校にも反映されているように思われる。それが子供たちを追い詰めているとしたら、そんな社会を作り上げた大人の責任はどうなるのか。ただハラハラしながら見守るしかないのだろうか。歯がゆさだけが募る9月だ。(俊)

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