コラム記事一覧へ

2012年7月26日

木曜日のつぶやき30・罪深きムラ社会

ビー・スタイル  ヒトラボ編集長 川上敬太郎氏

 自ら命を絶った大津市の少年は、毎朝、目が覚めると同時に後悔していたのではないか。

 なぜ、今日も目覚めてしまったのか―――。3人の加害者達の顔や声が、頭の中に交互に浮かんでは消える。朝食は喉を通らない。それでも着替え、学校に行く。通学途中も「奴ら」に会わないかとビクビクしながら。異常な緊張感の中、なんとか教室にたどり着く。

120725.jpeg よかった今日は無事に教室に入れた、そう思って自分の机に座ったとたん、後ろから声をかけられる。呼びかけるその声は、とても聞き覚えのある、しかし最も聞きたくない響き。そして恐怖の一日が始まる・・・。

 死んだ蜂を食べさせられ、殴られ、自殺の練習をさせられ。心もカラダもボロボロになり、絶望感とみじめさに苛まれながらようやく家にたどりつく。眠る前に祈る。「もう二度と、目が覚めませんように」・・・なのに、やがて、朝がくる・・・。

 想像するだけで胸が締め付けられる。少年はこのような絶望的な思いで、何日も何日も過ごしていたのではないか。

 大津で起きたいじめという名の犯罪は、最悪の事態を迎える前に阻止できたように思えてならない。少年はシグナルを発し、周囲の生徒もそのシグナルをキャッチしていたからである。もう生徒間では解決できない。助けて欲しいと。

 しかし大人たちは、そのシグナルをキャッチしながら彼を見殺しにした。

 この事件に関わる大人たちに「心」を感じない。学校の担任、校長、市教委、加害者の親。彼らのうち誰かひとりでも、少年の立場にたってその心情を汲み取ったものはいなかったのか。心情を汲み取ってなお見殺しにしたのだとしたら、それはもう共犯である。

 大人たちは、事実から目を背けていたのではないか。見てみぬフリ。それはムラ社会にありがちな、組織をリードする一部の人間が引き起こす「鈍感さ」の大罪である。

 次元の違う話ではあるが、ムラ社会の鈍感さという意味では日雇い派遣原則禁止の例外として世帯年収500万以上という奇妙なラインが設定されたことも似ている。

 現場の実態に合わせるべきと主張する使用者側の反対を押し切ったのは、「やってみないとわからない。問題が生じたらその際に対応すればいい」という一言だったと聞く。ムラ社会の鈍感さ。影響を受ける当事者にとっては、問題が生じてからでは遅すぎる。

 当事者の心情を無視する社会は新たな罪を生み出す温床となる。日本中いたるところに存在するムラ社会から、今日も新たな罪が生まれる。その罪の被害者になるのは、いつの時代も弱者。問題なのは被害者の数ではなく、少数であってもその「深刻さ」なのだ。

PAGETOP