「そこのけ、そこのけ、記者様のお通りだ」――。新聞、テレビに限らず、取材先において一部記者の不遜な態度や横柄な口の聞き方は、目に余るものがある。昨今、通信網の飛躍的発展のおかげで、自治体やインターネットメディアなどが会見場の様子をノーカットで配信するようになった。その一挙手一投足が「同時中継」または「記録」となって繰り返し誰でも視聴できるようになってから、「晒(さら)される実態」への批判に耐えられなくなったのか、年々、減ってはきている。
記者と呼ばれる人の大半は、筆者自身も含めて学校卒業と同時にある媒体を持つ民間企業(公共放送を含む)の入社試験を経て「いち社員(団体職員)」となる。そこから先の育成手法に、他の企業の新入社員と異なる世間常識を外れた記者を少なからず生み出してしまう元凶があるようだ。
先輩や上司から連日連夜にわたって薫陶(説教)を受けるのが、「権力に爪を立て、迎合するな」「知る権利の代表者の思いで、眦(まなじり)を決して立ち向かえ」の言葉の数々。先輩が徳の高い人だったかは忘れたが、その気構えに誤りはないだろう。ただし、それは22歳前後の社会人としての“赤ちゃん”に無条件に与えられた特権ではない。それにも関わらず、スタートから勘違いしたまま礼節などの一般常識を体得せずに青年、壮年、高年へと歩んでしまうケースがある。
“俺様記者”のような世間常識に欠けた人に限って見られる傾向として、「市民感覚で言うと」といった類の接頭語を付けて組織・団体のトップ層に食ってかかる。的を射た鋭く気迫のこもった質問で真実をあぶりだしていくことと、「一定の媒体で発信力を持っている」という過剰な特権意識に基づいた質問の仕方(口の聞き方や態度)はまったく別次元のものではないか。取材現場でそうした光景を目の当たりにするたびに感じる。
いまだ一部に存在する歴史ある媒体企業所属の“俺様記者”たち。「俺は(一般とは)別だから」の振る舞いが個人に与えられた特権または人徳なのかどうか。所属している企業を辞めて、自身の名前だけを刻んだ名刺で取材に臨んでみてはどうだろう。もしかしたら、これまで“礼さん”してくれた取材対象者が、歯牙(しが)にもかけてくれなくなったりして...。






















