「候補者の応援で現職閣僚が失言」――。国政選挙の1カ月前あたりから、この手のニュースが目立つなあと感じている人も多いだろう。実は、記者は与野党を問わず、いつも大臣や党役員クラスを務める議員のそばにいるので、選挙の前後だけに絞ってこうした報道をしている訳ではない。一年中、いつでも「失言か」の報道をしている。事実上の選挙期間中は、票の動向を左右しかねないので、普段より選挙関係者も有権者も敏感になっているのかもしれない。
さて、この「失言か」報道に接した際、「これは本当に失言なのだろうか」と思う人も少なくないようで、報じる内容や記事化すること自体にその媒体のセンスや意図を訝(いぶか)る声も聴かれる。かつては、報道に対する読者や視聴者の感想は現在のようにインターネットを介してたくさん読み取れなかった。そして、受け手側も個々の思いを見知らぬ他者と共有できなかった。
こうしたネットに投稿される声を見ると、時折、「失言じゃない。的を射ている発言だ」、「間違っていないと思う」と言った意見が散見される。報じる側が問題視したことに「重箱の隅を突く足引っ張り」と、媒体批判が展開される場合もあるようだ。もちろん、匿名の声を絶対視している訳ではないが、多くの一般の人の反応を見られなかった時代よりは一定の指標になる。
報道に携わっている自身から見ても、「前後の文脈や流れを意図的に無視した“切り取りパターン”だな」とか「会場の雰囲気や発言者の抑揚、トーンはどのような感じだったのだろう」と、直感的に疑念を抱くこともある。特に、批判めいた他社の「切り取り」報道と同じ会場や場所で取材していた際には、なおさらそう思う。
いろいろな感覚を持つ記者と媒体があり、それが健全な状態なので、発信側に自分と同じ思考を望んではいない。しかし、投票行動を左右しかねない発言を問題視するならば、堂々と「不適切だ」、「要職に就く資格なし」と指摘や批判をすればいいとも感じる。短く切り取った発言批判報道をしておいて、「波紋を呼ぶ可能性もある」、「感情を逆なでする懸念もある」などと、肝心な文末で第三者に委ねるのは、どうも弱腰に映ってしまう。読者や視聴者のみなさん、「失言?記事」には瞬間的な感情を抱くのではなく、他の各種媒体の報じ方にも自らアプローチして判断材料を集めて考え、「その発言の是非」と併せ、「記事化した媒体は適切だったか」の両方を判定することをお勧めしたい。






















