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2018年9月 4日

【書評&時事コラム】夏休みは「遊べた」かな

 数年前、自由研究など子供の夏休みの宿題を代行する商売があることを知り、苦々しい思いでいたら、8月末に文部科学省がメルカリなどのサイト運営会社に、出品作品を削除するよう要請した。遅きに失したとは思うが、当たり前の話だ。みなさん、始業式の日には「自前作」を出したかなあ。

c180904.JPG 削除前のサイトをのぞいたら、あるわあるわ。読書感想文、旅行記、昆虫採集、植物の生育観察、工作……。すぐに書けたり作れそうなものは百円単位から、高度技術が必要なロボットなどの工作物は千円単位で出展している。確かに、売りに出すだけあって、立派な完成品、面白い研究も多い。

 と、感心している場合ではない。他人の作品を買い、平気な顔で自分のものとして学校に提出する子供がいるとすれば、それは子供自身が親の教育の失敗作とみなしていいだろう。いっそ、削除前に出品作の種類、価格などを徹底的に調べ上げ、どんな分野に需要があり、どんなユニーク作があるかをリポートすれば、立派な自由研究になったかもね。要は、多少は親の助けを借りるにせよ、基本、自分自身でやることです。

 一部には「夏休みの宿題自体に、どれほどの意味があるのか」と疑問視する声もあるという。それなら、全国の小中学校が宿題を一切出さないようにしたらどうか。夏休みはまったく勉強しないでいい、朝から晩まで遊び呆けていいとなれば、喜ぶ子供も多いと思う。もっとも、たちどころに「子供の生活が乱れる」「学力が低下する」と、大反対の声が巻き起こるだろうが。(俊)

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