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2022年1月25日

【ブック&コラム】"肌感覚"失った春闘

「春闘や枕木歩くはいずくんぞ」「春闘を昭和に忘る鉄路かな」

 いずれも、れっきとした俳句であり、「春闘」が春を表す季語になっている。「昭和」とセットになっていることもわかり、年配世代にはピンと来る句だ。2度の石油ショックに見舞われた1970年代ごろまでの、日本の春を告げる一コマだった。

c220125.jpg その代表格が鉄道。各社の労組は列車を止めるストを構えて経営側と賃上げ交渉に臨み、決裂すると電車が止まった。マスコミは「首都圏の足がマヒ」と大騒ぎし、とばっちりを受ける会社員らは前日から会社やホテルに泊まり込んだ。都内の私鉄沿線に住んでいた新社会人の私も、最寄りのターミナル駅まで線路上を歩いたものだ。多くの人が黙々と枕木をまたきながら都心に向かう光景は、メディアの格好の被写体になった。

 しかし、電車を止める労組員に文句を言う人はあまりいなかったように思う。閉鎖した改札前でビラ配りしていた若い鉄道マンと、アタマに来た乗客が激しい議論をしているところに出くわしたことがある。なぜ、ストをするのか。理解を得ようと顔を赤くして訴えかける鉄道マンの気迫に、最後は乗客も「頑張れよ」と肩をたたいて去っていった。

 この"肌感覚"こそが、現代の春闘と決定的に違うように思う。豊かな現代ではストもピケもほぼなく、労使は紳士的な討論を経て妥結に至る。それはそれで良いことには違いないが、それもメディアを通じて伝わってくるだけで、「闘争」を実感できないのが現代だ。あの時、必死に説明していた若き鉄道マンの顔を思い出す。私とほぼ同年代にみえたから、もう引退しているだろう。現代の春闘をどう思っているか、ふと聞いてみたくなる。(典)

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