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2018年5月29日

【書評&時事コラム】モリカケ問題と非核化

 NHKテレビで衆参予算委員会の集中審議を終日中継すると聞いたので、「やっと、日本も動き出したか」と思いながらチャンネルを合わせたら、朝鮮半島の非核化問題ではなく、なんと森友・加計問題の攻防だった。与野党委員とも「もう、うんざり」とか言いながら、言った言わない、会った会わないという、相変わらずの追及ばかり。「うんざり」するのは国民の方だ。申し訳ないが、早々に消した。

c180529.JPG 6月12日の米朝首脳会談を目前に控え、両当事国に中国、韓国を加えた関係国の間では、水面下で激しい調整が続いている。その中からポッと浮かんでくる断片的な情報だけを、私たちはメディア報道によって知るだけだ。政府がどう対処しようとしているのか、国会の場で集中審議したことがあっただろうか。

 北朝鮮の問題は、第2次世界大戦後に形作られた冷戦時代の残滓(ざんし)とも言えるもので、日本にも安全保障や拉致問題など、直接的な深いつながりがある。その冷戦時代の枠組みが大きく変わるかもしれない、歴史的な局面だ。仮に、米朝が非核化で合意したら、日本は従来の立場を変えなくてよいのか。人道支援に踏み切るのか。国交回復に動くのか。合意できなかったら、日本にとって脅威は増すのか……。国民の知りたいことはヤマほどある。

 基本的に外交問題だから明確な結論はまだ出せないにしても、国としての方向性ぐらいは議論するのが、国会の本来の役割ではないのか。米中韓の首脳による活発なやり取りが報道されるたびに、完全に「カヤの外」に置かれたまま、モリカケ問題には熱を上げている国会の姿に、言いようのない不安感、絶望感を覚えてしまう。(俊)

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