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2013年5月30日

木曜日のつぶやき74・人それぞれのチャンス

ビー・スタイル ヒトラボ編集長 川上敬太郎氏

 5月の終わり。この時期になると毎年、母校に思いを馳せるのには理由がある。

c130530.jpg 母校愛知大学への入学は、私の人生にとって大きな転機となった。その母校がある愛知県豊橋市は、今や全国に広がった530運動発祥の地。530は「ごみゼロ」と読むのだ、と地元豊橋出身の友人に教えてもらった。語呂に合わせて毎年5月30日に行われている。

 幼少期のころから、世の中のあらゆることに疑問を呈する癖のあった私にとって、大学受験のシステムは異様に映っていた。高校までにいかに知識を詰め込んだかをテストしてどうするのか。そんなことで学問が発展するのか。どうしても受験勉強をする気になれず、片っ端から本を読み続ける日々が約2年続いた。

 いい加減、いつまでも親に迷惑をかけられないと感じ、「螢雪時代」の分厚い特別号を開いた。論文試験だけで行きたい学科に行ける大学はないものか。全国すみずみまで探して、唯一見つけたのが愛知大学だった。合格しなければ働くと覚悟を決めて入試に臨んだ。

 一匹狼で偏屈だった私が、なんとか人の輪の中で過ごせるようになったのは、大学時代の友人の存在が大きい。しかし、社会に出てやっていける自信など全くなく、就職活動の時は心底悩んだ。人が苦手ならば、嫌でも人と接する仕事に就いてしまえば治るかもしれないと、人材派遣会社を受けた。

 まだ学生時代のトゲトゲしさを残していた私を拾ってくれたテンプスタッフの創業者は、業界のカリスマ、篠原欣子会長兼社長。最終面接でお会いした時の鮮烈な印象は、今でもしっかりと脳裏に刻まれている。

 入社当時、先輩たちにはある共通点があった。そのころは圧倒的に中途社員が多かったのだが、それぞれ前職で何らかの挫折を味わい、まだ出来て10年足らずの人材派遣業界で自分の理想とする仕事をしようと意欲に燃えていた。特に、「女の子」扱いされてきたことに不満を感じていた女性の先輩に、その傾向は強かったように思う。

 そんな女性の先輩たちと同年代の派遣スタッフもまた、「女の子」扱いの仕事をさせられる正社員としての働き方に疑問を感じ、誇りを持って派遣の道を選んでいた人が多かった。

 母校が論文入試で私を拾ってくれたように、人にはそれぞれの人生があり、その人独自の人生のルートがある。派遣スタッフは全労働人口のたった2%弱。しかし、この2%の中に、新たな人生を見出している人が存在するのである。

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