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2022年3月29日

【ブック&コラム】再び「核時代の想像力」を

 ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、日本でもにわかに「国防論」が台頭している。「侵攻は他人事ではない」というわけで、「ぜい弱な日本の防衛体制」を強化し、「米国との盟友関係」をさらに強固なものにして、来るべき敵国の侵攻に備える。

 突き詰めれば、そんなところだろう。国会からテレビのワイドショーまで、議論は花盛りだ。恐ろしく粗雑な発想としか言いようがない。というのも、この種の議論がエスカレートすれば、最後は「核武装論」に行き着くのは目に見えているからだ。現に、首相経験者までが「核シェアリング」なる持論を展開し、憲法9条の改憲論者は好機到来とばかりにムードの高まりを歓迎している。

c220329.jpg 日本の場合、「世界唯一の被爆国」として世界に向けて非核を訴えてきた一方で、戦後一貫して脈々と続いてきた議論でもある。冷戦時代にも「核武装論」は消えず、作家の大江健三郎は「核時代の想像力」を書いた。大江が核戦争を避ける想像力の必要性を説いたのは、今から半世紀も前だ。私たちは、そこから全く前進していなかった。そんな気分になる。

 国家間のパワーゲーム論に熱中していると、戦争が国家による殺人行為であり、核戦争がその頂点にあることを忘れてしまう。が、幸か不幸か、私たちは映像を通してウクライナの人々が家を焼け出され、命からがら隣国に疎開する光景を嫌というほど目にしている。「かわいそうに」ともらい泣きしながら、次の瞬間には満開の桜見物に出かけられる。この平和との大きなギャップに想像力をめぐらせることは、それほどむずかしくないはずだが。(間)

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